20110724

シュウマツハ..


いつものように映画上映会。学生達も週末のこのひと時を楽しみにしているようで、普段時間にルーズなケニア人もこの時だけは5分前に必ず自分を呼びに来るほどだ。スバラシイ。3回目となる今回、1回目『BLOOD DIAMOND』、2回目『INDEPENDENCE DAY』、ドキュメンタリー、SFときたので今回は映画っぽい映画をチョイスしてみた。上映したのは大好きな映画の一つ『THE WORLD FASTEST INDIAN』。バイク映画ではあるが、マニアックなわけではなく誰が見ても感動できるような、内容も非常にすばらしい映画だ。





















































































































主演はディスプレイに映っている黒縁の眼鏡をかけたおっちゃん、『羊たちの沈黙』で有名なアンソニー・ホプキンス。映画の内容はニュージーランド出身のライダー、ボンネビル・ソルトフラッツレース1000cc以下motorcycleの地上最速記録保持者バート・マンロー”Herbert James Munro”の実話に基づいたものである。
このおっちゃん、なんと言ってもすごいのが63歳で世界記録を樹立したこと。退職後、長年の夢だったボンネビルへ向けて、こつこつとバイクを造り挑戦したそのストーリーはとても夢を与えてくれる。映画を観終わると必ず、諦めちゃいけない頑張ろうっていう気持ちさせてくれる。そしてこのおっちゃん、何よりもすごいのが世界記録樹立後も、ボンネビルに9回も戻り記録を何度も塗り替えたこと。しかも67年に記録した世界記録は今も破られないで残っていること。夢は諦めちゃいけないんだ。こんなおっちゃんになろ!




















































































実物のHerbert James Munro。



"If you don't follow through on your dreams,you might as well be a vegetable"


"I may have this saggy skin on the outside, but on the inside I'm still 18 years old"


"If you don't go when you want to go when you do go, you'll fin you're gone"


                                                 バートの言葉より。

テストキカン

配属先の学期末テストの日程もほぼ終わりに近づき、あとは終了式を待つ今日この頃。今回のターム、振り返ってみるといつになく慌しいタームだったような気がする。授業はもちろんだが、各所から教材の手配や委員会などで移動も多かった。そして何よりも一番イレギュラーだったのが、今月初めに一緒に2nd yearの学生(ケニアのPOLYTHECHNICはほとんどが2年制)を担当していた同僚が異動になってしまった事だ。今回のタームを終えるまでの約1ヶ月を残して、異動を告げられたのが前日。正直、あまりにも急すぎて学生には申し訳ないが十分な対応することができなかった。任されたクラスが一つならまだよかったのだが、2nd yearの中で上級過程の試験を受ける学生のクラスも同時にやることになってしまい、計画を立ててバランスよく授業をすることができなかった。1st yearを担当する同僚に相談したがそんなにいい解決策見つかるわけでもなく。頼りにしていた代わりの先生は一度学校に顔を出しただけで、今日まで一向に現れず。連絡も取れず何をしているんだかさっぱり分からない。ただただ次のタームに現れてくれる事を祈って待つばかりである。
そんな中でもなんとか終わりの見えた今回のターム。学期末テストの試験問題の作成・採点、実習試験の準備・実技試験・採点・片付け、成績の集計を全部一人で行った。学期末のこの一連の工程を一人でできるようになっておかないとと思い一人でやってみたが、もちろん結果は満足とは到底言えないがなんとなくそれなりのレベルでこなす事ができた。まだまだ自分自身の精度が低くて底知れない努力も必要だが良かった点や改善点なども把握することができたので、なんとか結果all right。これからに繋げられるとてもいい経験になった気がする。頑張らねば。
さて、色々やっていたらあっという間に過ぎてしまっていたテスト期間、気付けばすっかり写真を撮りそこなってしまっていた。なので先日行っていた1st yearの実習試験の様子を少し。









































試験自体は、実習試験と言うよりもほとんど学科試験のようなものだ。整備工具の名称とエンジン各部の名称を答えるだけの簡単な問題。もちろんだが、試験のレベルは日本の専門学校のレベルには到底及ばない。1st yearの学生ではあるが、2nd termも終わろうかというこの時期にこういう試験をやっている事に今更ながら驚いてしまった。正直なところ、試験として行うには内容があまりにもレベルが低すぎるためだ。あまり言いたくはないが、教える側の姿勢にも疑問を抱いてしまう。
どうしても場面ごとに物事を見て、またそれを文章にしてしまうと偏った捉え方をしてしまいがちだが、日本とはまったく違う状況で物事が複雑に絡み合うケニア。一概に物事の良し悪しの判断はできないのが難しいところだ。きっとやり方はひとつじゃない。それを忘れないようにしなければ。


そんな簡単な試験のはずだが、これがまたケニア人。信じられないくらい時間が掛かる。信じられないくらい。日本で10分ほどで済む問題でもケニアでは平気で40分近く掛かってしまう。もうそんなに考えたって答えなんてでないでしょっていう状況でも、なぜかひたすらに考える。考える。考える。考える。考える。考える。自分にはレベルが高くて解けない問題でも、ひたすらに考える。考える。考える。考える。考える。








































そして、

また考える。考える。考える。考える。考える。考える。ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。





































この持ち前の粘り強さに、知識と経験と計画性がもてれば完璧なんだけどなぁ。

20110715

Dragonfly..


よく見てみると昆虫という生き物はとっても不思議なものだ。色や形、大きさ、食性、生き方、どれも種類によって様々だ。身の回りに昆虫は多くいるが、よくよく考えてみると昆虫のことなどほとんど知らない。
目に見えないほど薄く透明な翅に不規則に広がった黒い節。見れば見るほど不思議な模様をしている。こうやって写真で見てみると翅が4枚あることもとっても不思議に感じてしまう。しかしじっと見つめていると、どうしても風の谷のナウシカに出てくるトルメキア軍が攻撃してしまった腐海の蟲に見えてきてしまう。映画の場面だけを見れば空想の生物に見えるが、こうしてじっくり見てみれば空想の生物ほどのグロテスクさを十分に持ち合わせているようにも感じる。残念ながらペットにするほどの可愛さはないが、大事にせねば。蚊を食べてくれる強い見方なのだから。





20110714

ソクテイチュウ


実習のために同じ自動車整備ボランティアの配属先から借りてきた教材で、エンジン各部測定の実習試験中。

20110710

Blood Diamond..

Blood Diamond,Dirty Diamond,War Diamond...血塗られたダイアモンド、汚れたダイアモンド、戦争ダイアモンド。呼び名は色々とあるが通称”紛争ダイアモンド”。主に紛争の残る西アフリカ地域で採れたダイアモンドの事をこう呼ぶらしい。2006年の映画『Blood Diamond』で一躍有名になった言葉だ。

今日は昼から学生達へ向けての映画上映会を行った。上映会と言っても教室にパソコンとスピーカーを設置しただけの簡単なもの。前からやってみたかったので数日前に学生に声をかけてみると、大喜びで約30人ほど集まった。


娯楽が極端に少ないケニア。入ってくる情報もそれなりに限られてしまうのが現状だ。そんなケニア人のもっぱらの趣味はサッカー観戦とおしゃべり。バーや街中では、新聞やニュースから流れてくる情報に熱い論議を交わしている。若いケニア人でも一度尋ねれば、一丁前に意見を堂々と披露してくれる。

だが、先進国と比べてしまえばその情報量はやはり乏しい。海外の情報などに関してはとくにだ。ケニア国内においてインターネットも驚くほどに普及してはいるが、まだまだ一般的とは言えないため、全ての情報はケニアから、ケニアが発信源となってしまうのだ。そのため若干情報が偏りがち。教育分野においても、新しいものを取り入れる柔軟さはいまいち。

今回上映会をやろうと思った理由はまさにそれだ。少しでも何か新しい”世界”を知る事ができればと。映画というものを通して、ドキュメンタリーでもコメディーでもSFでもなんでも、とにかく何か新しいものを見て欲しかった、見せてみたかったのである。


前日から何を流すかひたすら悩み、そして悩んだ末に選んだのが『Blood Diamond』。映画をあまり見慣れていないケニア人に、ドキュメンタリー系の映画は暇になるかと心配していがまったくそんなことはなかった。上映中はみんな真剣そのもの。



今回流した『Blood Diamond』、ケニア人にあまり知られていないであろうアフリカの一面を知って欲しくて見てもらった映画だ。ほとんどの国に戦争や紛争、内戦の歴史を持つアフリカ。その歴史はどの国にも未だに色濃く影を残している。こうしてケニアで生活しているが、当事者でないものにはその本質は理解することはできない。知る、そして考えるということしかできない。

何か出来事が起こったときによく”自分にはなにが出来るか”と問われることがある。自分が思うに、そこで何が出来るかはそんなに重要ではないように思う。あくまで持論だが、きっと考える事のほうが大切だ。しっかりと自分の中でかみ締めて、しっかりと考えるという行動をとることの方が大事なのではないだろうか。まずは自分を失わずに受け止めてみること。


この映画を選んだのもそのためだ。同じアフリカ大陸の実情を知って欲しくて、そして同じアフリカ大陸に住んでいる彼らがどう思うかを知りたくて。

そして映画上映後、学生達にどうだったと尋ねてみた感想はというと。

無言。

特に感想がなかったと言うわけではなく、何も意見がでなかったのはケニアの国民性のため。おしゃべりや自己主張は強いが、大人数になると自分の意見をさっぱり言わなくなってしまうのである。少し残念ではあるけど、いつもの事。仕方ない。彼ら自身の中でしっかりと想いを持つ事、それが何よりも大切だ。


あくまで映画というものを通して見た、また違ったアフリカという世界。

彼らにはいったいどう映ったんだろうか。


そしてこれからの彼らにはアフリカがどう見えるんだろう。



20110707

HIV&AIDS..

今日任地において、学生へ向けてのHIV&AIDSの啓発活動がRED CROSSより行われた。RED CROSSの活動内容や設立経緯、HIV&AIDSに関する知識・予防法、VCTの設置、コンドームの正しい使用法など一日に渡ってイベントが行われていた。
どこの国がなどと限定してい言えるわけではないが、HIV&AIDSが深刻な問題のケニア。地域によっては感染者の数が25%に近いところもあるそうだ。現在、そんな状況を変えるために約20名近くの隊員が、エイズ対策のための隊員として主にケニア西部へ派遣されている。そのほかにも世界各地からボランティアやボランティア団体、NGO、NPOなどがHIV&AIDSの予防啓発のためにここケニアで働いている。海外からの支援などもしかり。国内においてももちろんの事、予防啓発のために働いているケニア人はとても多い。

日本においてはボランティアやNGO、NPOでの予防啓発などのための活動は、職業としてあまり認識されていないような節があるが、ケニアではそれがきちんとした職業の一つに入ってしまっているように思う。聞いた話であったり受け売りが多いので確かな事は言えないが、専門的な知識がない自分でさえも、HIV&AIDSに関するたくさんの活動が、職業であるのと同時にひとつの産業になってしまっている気がしてしまう。世界では貧困に喘ぐ国やHIV&AIDSが大きな問題として残っている国が多くある中で不謹慎な発言かもしれないが、今の自分おううが思う事を素直に書いてみたいと思う。

上にも書いたようにHIV&AIDSの予防啓発または治療のために、国外からたくさんの人材・物資の支援が入っているケニア。汚い話だがお金に換算してみたらそれがいったいどのくらいの額になるかは計り知れない。国の財政に与える影響も大きい。またそれが全てなくなってしまった時などもきっと国には計り知れないほどの影響あるだろう。
だが決してそれが悪い事ではない。実際に多くのケニア人がそのおかげで生計が成り立っている。それに人は生きていくために働いているのだから。

しかし、どうしてもどこかで違和感を感じてしまう。その方向性にブレが生じている部分が少なからず見えてしまうからだ。

支援金や支援物資をピンはねして横領する人、そのまま懐へ入れる人、売る人。海外からの支援で設立した団体で、でっかい椅子に座って給料を貰う演説だけはうまいおじさん、おばさん。国からの補助金、または海外から支援のために数値を水増しするおじさん、おばさん、お兄さん、お姉さん。

もちろん少数ではあるが、どうしてもそういった部分が目に付いてしまう。気になってしまう。どうしても蟠りを覚えてしまう。
人は生きるためにずる賢さも必要だ。だけどやはり芯の部分では善を望んでいるような気がしてしまう。他人にでさえもだ。善のための生き方であってほしいと。

自分がそんな全うな生き方をしているわけではないのでそんな偉そうな事は言える立場ではないが、ボランティアとしてケニア人と一緒にケニアの土地で働いている自分としては、おせっかいであるかもしれないがそうあってほしいと願うのだ。本当は善の気持ちを心の奥の方でしっかり持っていてほしいと。

こうやって書いているとなだかケニア人がとってもさばさばしたような人種に思えてしまうが、まったくもってそんなことはない。とても愛情深い暖かい人々だ。COOLなんて言葉はまったく似ても似つかない。正直鬱陶しいほどだ。だがびっくりするほどにサバサバもしている。その切り替えの早さによく驚いてしまう。
人間はとても好きだが気にしないものは気にしない、言葉にするならきっとそんな人種であるような気がする。



ケニアに来て、ケニアのために、、、というか今自分に何ができるのだろうかとよく考える時がある。

 だが結局はここはケニアなのだ。物事にどんな蟠りがあっても、ケニア人がケニアのためにケニア人の手でケニアを動かさないとなんの意味もない。
今の自分にできるのは、今の自分が持っている知識や経験を少しでも多く伝える事。きっとそれしかできない。それをどう生かすかはケニア人次第。結果は中々見えない作業だが、その分未来の可能性は大きい。とても楽しみな仕事でもある。きっと協力隊ってそういう仕事なのかなと最近思い始めてきた。

頭で考えるととっても難しい問題。だから手を体を動かしてみよう。


さて、明日はキスムへ学生と一緒にschool trip。楽しみだ。


























































20110705

ケニアノヤサイタチ

ケニアに来てから約1年3ヶ月。気付けば折り返し地点を過ぎている。何気ない日常がどこかゴールへ向かっているのかと考えると、少し寂しさを感じてしまう。小さな事にも目を向けて生活してみよう。






 玉葱


 ピーマン

 色、形、大きさ、味、どれもやはり日本のものとはどこか違う。けれど売っている野菜の種類は日本とほとんど同じ。そう考えると地球にある野菜がおんなじ畑で育っている感じがする。どれも自然の力で育てられている。いつの日か、人類で始めて野菜を食べたであろう先祖に会ってみたい。どうして食べたんだろう。はたしてどんなリアクションをしたんだろう。 気になる。