今日任地において、学生へ向けてのHIV&AIDSの啓発活動がRED CROSSより行われた。RED CROSSの活動内容や設立経緯、HIV&AIDSに関する知識・予防法、VCTの設置、コンドームの正しい使用法など一日に渡ってイベントが行われていた。
どこの国がなどと限定してい言えるわけではないが、HIV&AIDSが深刻な問題のケニア。地域によっては感染者の数が25%に近いところもあるそうだ。現在、そんな状況を変えるために約20名近くの隊員が、エイズ対策のための隊員として主にケニア西部へ派遣されている。そのほかにも世界各地からボランティアやボランティア団体、NGO、NPOなどがHIV&AIDSの予防啓発のためにここケニアで働いている。海外からの支援などもしかり。国内においてももちろんの事、予防啓発のために働いているケニア人はとても多い。
日本においてはボランティアやNGO、NPOでの予防啓発などのための活動は、職業としてあまり認識されていないような節があるが、ケニアではそれがきちんとした職業の一つに入ってしまっているように思う。聞いた話であったり受け売りが多いので確かな事は言えないが、専門的な知識がない自分でさえも、HIV&AIDSに関するたくさんの活動が、職業であるのと同時にひとつの産業になってしまっている気がしてしまう。世界では貧困に喘ぐ国やHIV&AIDSが大きな問題として残っている国が多くある中で不謹慎な発言かもしれないが、今の自分おううが思う事を素直に書いてみたいと思う。
上にも書いたようにHIV&AIDSの予防啓発または治療のために、国外からたくさんの人材・物資の支援が入っているケニア。汚い話だがお金に換算してみたらそれがいったいどのくらいの額になるかは計り知れない。国の財政に与える影響も大きい。またそれが全てなくなってしまった時などもきっと国には計り知れないほどの影響あるだろう。
だが決してそれが悪い事ではない。実際に多くのケニア人がそのおかげで生計が成り立っている。それに人は生きていくために働いているのだから。
しかし、どうしてもどこかで違和感を感じてしまう。その方向性にブレが生じている部分が少なからず見えてしまうからだ。
支援金や支援物資をピンはねして横領する人、そのまま懐へ入れる人、売る人。海外からの支援で設立した団体で、でっかい椅子に座って給料を貰う演説だけはうまいおじさん、おばさん。国からの補助金、または海外から支援のために数値を水増しするおじさん、おばさん、お兄さん、お姉さん。
もちろん少数ではあるが、どうしてもそういった部分が目に付いてしまう。気になってしまう。どうしても蟠りを覚えてしまう。
人は生きるためにずる賢さも必要だ。だけどやはり芯の部分では善を望んでいるような気がしてしまう。他人にでさえもだ。善のための生き方であってほしいと。
自分がそんな全うな生き方をしているわけではないのでそんな偉そうな事は言える立場ではないが、ボランティアとしてケニア人と一緒にケニアの土地で働いている自分としては、おせっかいであるかもしれないがそうあってほしいと願うのだ。本当は善の気持ちを心の奥の方でしっかり持っていてほしいと。
こうやって書いているとなだかケニア人がとってもさばさばしたような人種に思えてしまうが、まったくもってそんなことはない。とても愛情深い暖かい人々だ。COOLなんて言葉はまったく似ても似つかない。正直鬱陶しいほどだ。だがびっくりするほどにサバサバもしている。その切り替えの早さによく驚いてしまう。
人間はとても好きだが気にしないものは気にしない、言葉にするならきっとそんな人種であるような気がする。
ケニアに来て、ケニアのために、、、というか今自分に何ができるのだろうかとよく考える時がある。
だが結局はここはケニアなのだ。物事にどんな蟠りがあっても、ケニア人がケニアのためにケニア人の手でケニアを動かさないとなんの意味もない。
今の自分にできるのは、今の自分が持っている知識や経験を少しでも多く伝える事。きっとそれしかできない。それをどう生かすかはケニア人次第。結果は中々見えない作業だが、その分未来の可能性は大きい。とても楽しみな仕事でもある。きっと協力隊ってそういう仕事なのかなと最近思い始めてきた。
頭で考えるととっても難しい問題。だから手を体を動かしてみよう。
さて、明日はキスムへ学生と一緒にschool trip。楽しみだ。
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