20110710

Blood Diamond..

Blood Diamond,Dirty Diamond,War Diamond...血塗られたダイアモンド、汚れたダイアモンド、戦争ダイアモンド。呼び名は色々とあるが通称”紛争ダイアモンド”。主に紛争の残る西アフリカ地域で採れたダイアモンドの事をこう呼ぶらしい。2006年の映画『Blood Diamond』で一躍有名になった言葉だ。

今日は昼から学生達へ向けての映画上映会を行った。上映会と言っても教室にパソコンとスピーカーを設置しただけの簡単なもの。前からやってみたかったので数日前に学生に声をかけてみると、大喜びで約30人ほど集まった。


娯楽が極端に少ないケニア。入ってくる情報もそれなりに限られてしまうのが現状だ。そんなケニア人のもっぱらの趣味はサッカー観戦とおしゃべり。バーや街中では、新聞やニュースから流れてくる情報に熱い論議を交わしている。若いケニア人でも一度尋ねれば、一丁前に意見を堂々と披露してくれる。

だが、先進国と比べてしまえばその情報量はやはり乏しい。海外の情報などに関してはとくにだ。ケニア国内においてインターネットも驚くほどに普及してはいるが、まだまだ一般的とは言えないため、全ての情報はケニアから、ケニアが発信源となってしまうのだ。そのため若干情報が偏りがち。教育分野においても、新しいものを取り入れる柔軟さはいまいち。

今回上映会をやろうと思った理由はまさにそれだ。少しでも何か新しい”世界”を知る事ができればと。映画というものを通して、ドキュメンタリーでもコメディーでもSFでもなんでも、とにかく何か新しいものを見て欲しかった、見せてみたかったのである。


前日から何を流すかひたすら悩み、そして悩んだ末に選んだのが『Blood Diamond』。映画をあまり見慣れていないケニア人に、ドキュメンタリー系の映画は暇になるかと心配していがまったくそんなことはなかった。上映中はみんな真剣そのもの。



今回流した『Blood Diamond』、ケニア人にあまり知られていないであろうアフリカの一面を知って欲しくて見てもらった映画だ。ほとんどの国に戦争や紛争、内戦の歴史を持つアフリカ。その歴史はどの国にも未だに色濃く影を残している。こうしてケニアで生活しているが、当事者でないものにはその本質は理解することはできない。知る、そして考えるということしかできない。

何か出来事が起こったときによく”自分にはなにが出来るか”と問われることがある。自分が思うに、そこで何が出来るかはそんなに重要ではないように思う。あくまで持論だが、きっと考える事のほうが大切だ。しっかりと自分の中でかみ締めて、しっかりと考えるという行動をとることの方が大事なのではないだろうか。まずは自分を失わずに受け止めてみること。


この映画を選んだのもそのためだ。同じアフリカ大陸の実情を知って欲しくて、そして同じアフリカ大陸に住んでいる彼らがどう思うかを知りたくて。

そして映画上映後、学生達にどうだったと尋ねてみた感想はというと。

無言。

特に感想がなかったと言うわけではなく、何も意見がでなかったのはケニアの国民性のため。おしゃべりや自己主張は強いが、大人数になると自分の意見をさっぱり言わなくなってしまうのである。少し残念ではあるけど、いつもの事。仕方ない。彼ら自身の中でしっかりと想いを持つ事、それが何よりも大切だ。


あくまで映画というものを通して見た、また違ったアフリカという世界。

彼らにはいったいどう映ったんだろうか。


そしてこれからの彼らにはアフリカがどう見えるんだろう。



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